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私のフリーランス期

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ご覧いただき、ありがとうございます。
フリーランスデザイナーの塚本ヒロミです。

社会人になってから、
印刷会社、エディトリアルのデザイン事務所、広告のデザイン事務所など
転職経験はあるもののデザイン業にはずっと関わってきました。

事務所でグラフィックデザイナーの経験を重ね、
29歳のときにフリーランスに。
以降有難いことにこの働き方を続けてこれています。


私はこの仕事と働き方が大好きです。
ずっとやっていきたいから(会社員に戻りたくないから…)日々頑張ってます。


そんな私のフリーランス期をまとめてみましたので
ご興味ありましたら、この先も読んでみてください。







フリーランスになった理由


ずばり「会社が嫌だったから…」です。

「自分の事務所を立ち上げたい!」
「起業したい!」
といった前向きな理由では全くなかったです。

当時の事務所の社長とはウマが合わず、社風や小言にうんざりする日々。
それでも仕事は好きだったし、同僚、上司も好きだったので、
本当にきっかけはウマの合わない社長だけなんですよね笑


そんな中、他の会社に転職したところで、
また相性の悪いところだったら何も変わらないのではないか…と思い
転職活動を行わずデザイン事務所を退社し、
29歳のときフリーランスになりました。


“ダメならどっかでバイトでもすれば良いや”
とダメ元始めましたが、
バイトすることもなく気付けばフリーランス9年。

結果何よりもフリーランスが続いているので、
この働き方が自分には相当合っていたのだと思います。




フリーランス初期 〜お仕事をいただくまで〜



独立当初は、
元事務所の上司のやさしさもあり定期的なお仕事を外注として出してくれました。
地元密着系住宅メーカー発行の月刊フリーペーパー。

巻頭特集の内容のご提案から始まり、
ライターさんと取材、カメラマンさんと撮影、そしてページデザインまで全てやりました。

取材先を探すのも、撮影イメージを組むのも自分、
ディレクションという一連のことを
任せていただけたのでかなり勉強になりました。


他にも、
事務所時代のクライアントさんやライターさんからのご紹介もありました。
思えば初期は有難いことにご紹介がメインでしたね。

そしてこの時期、
旦那は単身赴任だったんです。

結婚してからは静岡の浜松市で2人で住んでいたのですが、
私がフリーになると同時に旦那の横浜へ転勤が決まってしまい。

私は今までお世話になった方の多い浜松で
フリーを始めたかったのでついて行かず…。

2年間横浜・浜松での遠距離生活もしてました。




ママフリーランス期 〜横浜へ引越し・妊娠・出産〜



遠距離生活ののち、旦那の転職もあり横浜に移住しました。

移住といっても元々東京で育った私たちとしては、
関東圏に戻ってきたようなイメージ。

今ほどリモートの認識もなかったり、
地域密着系案件だとやはり遠方は厳しかったりで、
残念ながらここで浜松のお仕事は一気に減りました。
(中には「横浜行ってもお願いね」と
今でもお付き合いが続いている有難いクライアントさんも◎)

第一子妊娠もこの頃。
つわりはなく体調は良かったのですが、
出産も控えている中、積極的に営業も出来ない状況にはなりました。

出来ることといえば、
フリーランスへの業務委託募集している制作会社へメール営業。


産後は保育園にも預けず日中は育児な状況でしたので、

・小さい子どもを育てながらなので、日中即修正などの対応が難しいこと
・夜と旦那のいる土日に作業が可能なこと


などこちらの環境を営業メールでお伝えし、
ご理解いただけた会社さんとはお取引。
といったことをしていました。


当たり前ですが、
お仕事はお引き受けした以上はしっかり納品する。
その為にこちらの環境もお伝えしておく。


こういった自己開示をしていたおかげで、
ママさん目線のお仕事や、
女性の社会活動を応援しているような有難い会社さんとも
繋がれることもできました。

長女と2歳差で弟も産まれたので、
この時期は
“ホソボソでも良いからとにかく続ける、途絶えさせない”を目標に。

アクティブな営業活動をしないでも続けていられるような、
制作会社からの下請け仕事がメインとなり、
日中育児、子どもが寝てから仕事な日々でした。




40代フリーランスを見据えて…



下請けでのお仕事でも、
必要とされることにお役に立ちたい気持ちはありましたし、
様々な案件があるので勉強にもなるしで、
有難いとは思っていましたが、

35歳頃から“40代フリーランス”をよくイメージするようになりました。

“40代になっても今のまま下請けばかりではきっとキツくなる”

誰に言われた訳でもありませんが、
ひたすら制作をする毎日にきっと限界は来るだろうと思いました。

ちょうどその頃、
長女も幼稚園(こども園)入園で、
出産以来はじめて日中の時間が確保できる環境になったこともあり、
40代フリーランスを見据え、
下請け→直請けのお客様を増やせるようシフトして
活動するようにしました。

それまでポートフォリオサイトを持っているだけで、
発信する場所はゼロでしたが、
インスタとHPも開始。

下請けとなる業務委託や外部パートナーへの新規営業は一切やめ、
インスタ発信や商工会入会など直請けに向け行動した甲斐もあり、
直請けのお客様とのお取引ができるようになりました。
(長年お付き合いある制作会社さんの下請け仕事などは今も継続中♪
これはこれで学びが多いのです。)

下請けと直請け、
それぞれのお仕事をたくさんさせていただいたおかげで、
それぞれの良さや大変さもよく分かりました。

またそんな話もブログに書いていければと思います。




最後に


こんな感じでフリーランス街道をひたすら走ってきてますが、
きっかけは会社からのただの逃げです。

今も、会社に戻りたくないが原動力になってます笑

でも、
好きな働き方で、
大好きなクリエイティブが出来て
お客様の役に立てていることが幸せです。

ビジョンを
“仕事に誇りをもつ人が増える社会へ”と掲げていますが、
誰かの何かのきっかけになれればまた嬉しいです。

読んでいただき、ありがとうございました。

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